日本人が【当たり前】に出来る能力の価値ポテンシャル。

フランス生活

フランスに住んで2年程経った現在でも、自分はつくづく日本人らしいなと感じる場面がある。日本人感覚だと当たり前なことが、こちらではそうでは無くて、その不便さにストレスを感じる時だ。これ、少し考えてみると興味深い。日本人だと本能的に出来ている水準が、他だとそうではないということ。これの良い側面をちゃんと活かせると、面白い発想に繋がらないか?(もちろん、こちらだと当たり前なことが、日本人感覚ではそうでは無くて、感動する時もある。長短共存することは念頭に置いての話。)

フランスには無い、日本の当たり前。

具体的にすると全体が見え難くなるので、やや抽象的な表現になるが、ここで挙げたい例は以下。

決まり・標準・マニュアルがあり、その通りに進む。

決めたコトが、決めたトキに、決めたヒトによって、決めた通り、実行される。

欲を言えば、こうだったら良いな、まで行き届く。(おもてなし)

日本も100%そうとは言い切れない、と言われそうだが、そのレベル感が大きく違うということを言いたい。「全体として高いレベルで(当たり前に)出来ている」のが日本と言えると思う。言い換えると、「(日本人の感覚で)思った通りになる」のが日本と言えると思う。

これだけだと、日本人感覚に日本人が満足しているだけに聞こえる。しかし、面白いと思ったのは、顧客満足の観点で言えば、上の「高いレベルで出来ている」「思った通りになる」はフランスでもウケが良い感触があるからだ。

「当たり前」の価値づけ

つまり、日本の良い意味の当たり前は、日本の外ではサービスレベルで価値を生むということになりはしないか。おもてなしは正にだが、もっとそもそもレベルでも開拓出来る余地があると思う。

前述の当たり前がそもそもなぜ日本だと当たり前なのか?私は、日本特有の躾や集団行動などの文化で根付いた真面目な気質が根底に定着しているからだと思っているが、ここは意見が違ってもいい。本質的な部分で他と違う日本独自で備わる何かがある、というところは間違いないと思う。

もっと、この当たり前を、当たり前ではない日本の外に、価値として堂々と届けられれば良いのに。と言うのがここでの結論だ。

効率論で言えば過剰品質はムダとなるし、現実論で言えばGDPの成長は鈍っていてその価値に疑問も生じる。それでも私は、当たり前の価値づけを、海外基準で正当に出来れば、もっと価値を認められて然りと感じる。なぜなら、痛感するから。日本は、同じ価値を提供するならもっと当たり前に効率よく出来るし、同じ対価を払うならもっと良い価値提供が出来るから。単純に、日本と日本の外との価値基準がずれている部分は大きいと感じる。

日本の外を見ると、価値が変わる?

グローバル化は当たり前の前提に立てば、日本基準での価値づけに留まらず、世界基準で価値づけ出来るところは価値を上げていけると、日本の豊かさは上がるのではないかと思う。(経済学者ではないし、一側面だけを見た楽観的意見だが。)

日本だけを見ていると価値が無さそうなものも、日本の外を見ると相対的に価値が見出せるものは確実に存在する。当たり前に潜む、当たり前じゃない視点に気付き、その価値を創出しよう。

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