仲間。ここでは、自分が普段気兼ねなく付き合える相手のことをそう呼びたい。家族でも、親友でも、恋人でも。いつだって仲間の存在は有難いのだが、特にそれが心に沁みて感じる場面は、自分がつらい時だ。それも、つらければつらい程その力は大きな救いの力になる。
負のスパイラルは自分では脱出困難
誰だってあるであろう、つらいことがあって塞ぎ込んでしまうこと。それが深刻であったり長期間であったりすると、慢性的に自分の中で大きくなり、自分ではそうと気づかぬくらい負の影響を与える存在になっていたりする。自分は大丈夫と元気な時は思っていても、いざ患うと自分では解決できない状況に陥ってしまう。
病気に似た症状だと考えている。抱え込む程、どうしようも出来ない”と思ってしまう”状態になり、その状態から脱出が出来なくなる感覚だ。症状が重い程、自分自身の問題化されていて、自分以外の世界には無関係化されている。よって、自分で何とかするしかないとする意識が更に強くなり、ドツボに嵌っていく。
この状況、周りに救いを求めても無駄。そんな思いを抱きつつ、気を紛れさせる目的で仲間と話す。あるいは幸運な場合は、渦中、仲間の方から話掛けてくれる。
仲間の介入で、一瞬で救われる。
ところがどうだろう、決してそのつらい状況について相談している訳では無いのだが、仲間と話をするだけで心が軽くなった、何故か悩みが解決すらしていた、と言う経験は無いだろうか。
感覚的には、自分視点/思考ではつらいとしか見れなかった状況に対し、仲間と話をする中で他の視点/思考が入ってきたことでつらいだけではない状況に書き換えられた感じ。つらいというレッテルを貼られた井戸の中で悩む蛙が、そうではない外の海の存在を知り救われる感じだ。自分の視点/思考の外から自分を見ることが出来、意外とちっぽけだと思えた瞬間、離れなかった負の視点/思考がリセットされ、気持ち的に救われる。これは事実だ。リセットが出来ると、状況を変えることが出来る光(気持ち)が自分の中に確認出来る。
一方で、気持ち以外の部分は変わっていない事実も忘れてはならない。つらい”と思ってしまう”状況に置かれている身は変わっていない。その状況から抜けなくてはならないのは他でもない自分であることも変わっていない。
状況は何も変わらない、でも自分(気持ち)が変わった。
負の状況から抜け出すべき自分が、抜け出せる自分(気持ち)を見出せたことは、極めて大きい。乗り越えるべき課題の主語が、状況ではなく自分になったから。自分で変えられる状況になったから。
ここでは強く実感した場面としてつらい状況を思い浮かべたが、気持ちが変わる瞬間には、いつも仲間の影響がある気がする。これまで何度、仲間に助けて貰っただろう。自分から動き出せるきっかけを貰っただろう。そしてこれからも何度も、意識リセットに仲間に助けられるのだろう。
こういう場面での感謝を時に思い出しつつ、当たり前と感じてしまっている仲間との関係を大切にしていきたいと改めて思う。
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