フランスで生活しフランス人と話していると、時々耳にする言葉がある。前後の話の流れを踏まえるとその言葉は、日本人が直訳のまま捉えるニュアンスとは違うと感じる。そこで、フランス人らしい考え方に触れ、「何事も捉え方次第」と気付かされる。
C’est la vie.
それが人生。直訳の通りだ。そしてその言葉は想定通り、然るべきタイミングで登場する。
悪い意味の想定外、期待外れの結果、突発の不都合、などが発生していたたまれない気持ちになることは世界共通、誰にだってやってくる。不平不満も言いたくなる。状況が変わる訳ではないので、最後はその感情に打ち克って気持ちを切り替えないといけない。日本でもそうだが、フランスでもそうだ。この時に出て来る言葉として筆頭だろう。人生そんなもんだよ、と言い聞かせる。「(日本)それが人生。」「(フランス)C’est la vie.」
私が、日本とフランスの違いとして感じたのは、直訳の意味では無い。その言葉を発した時の気持ちの捉え方。言葉の裏?先?にある考え方だ。
フランス人的思考術
上の話の流れで出て来る言葉「それが人生。」には、発した際どんな気持ちが含まれているだろうか。日本人の私の思考回路だとそれは、あきらめの様な、投げやりの様な、失望の様な、後ろ向きな感情に支配された気持ちだ。ここで言う「人生」は、良くも悪くもどうしようも無いもので、人はその人生の中に飲まれた存在になっている。
上の感覚を持てたのは、対象としてのフランス人の思考回路に触れることが出来たからだ。
では早速、フランス人から出て来る言葉「C’est la vie.」には、どんな気持ちが含まれているか。私が解釈する限りだがそれは、潔く受け入れると同時に、その中で今後何が出来るかを考えていこうとする前向きな気持ちだ。これが確実に含まれている点が、日本とフランスの違いだと感じる。対比的に言えば「la vie」は、日本的思考と同じくどうしようも無いものとして受容されるものではあるが、人がその中で切り分けて生きた存在になっている。人生という舞台の上で、今後を前向きに考える個人が独立的に捉えられている印象を持つ。
フランス人的には、人生どうなるかなんて分かったものじゃないのだから良くも悪くも受容する覚悟が最初から出来ていて、その中で自分がどうしていくべきか(が重要だ)、に思考の比重が置かれており、それが言葉の裏に反映されている。
これを言い切れるのは、実体験を通じて強く感じたから。会話としては、「C’est la vie.」で一旦オチが付くのだが、この後に続いて添えられる言葉が極めて前向きな内容しか出てこない。「それでも~できる。」「だから~と考えればよい。」「これから~すればよい。」こういう類の言葉に繋げている。その点で「C’est la vie.」は、直訳で発せられる「それが人生。」とは違い、完全に前向き方向転換する意思が込められた、より良い言葉と定義されるに至った。
使うなら、フランス人的「C’est la vie.」
私も、これから何度も冒頭に挙げた場面に出くわすと思っている。そして何度もこの言葉を使うと思っている。ただ、使う時は、フランス人的思考で発したいと思う。「C’est la vie.」
捉え方が違うだけ、それだけ。だが、言った瞬間から何かが前に進められる気がするのは、自身の捉え方のおかげ。だとすれば、捉え方は自身の思考~行動~あり方~生き方に、極めて重要な役割を果たしている。と言う大事なことを学んだ気がするのでログさせて頂く。言葉の力は偉大だ。
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